革命家・外山恒一連続公演
マイ・マジェスティ
公演レポートVol.1【天国の英雄的な門への前奏曲】
(2001.2.28 第1回刑事公判)
携帯が鳴った。
あっ、と思って飛び起き、時計を見ると午前10時50分。
やばい。
電話をとると、案の定、ぼくの弁護人・S氏だ。
「今、どこにいるんですか!」
半分寝ぼけまなこで、しどろもどろになりながら答える。
「す、すいません。寝坊してしまいました。今、自宅です」
「えー!?」
S氏が悲鳴のような叫び声をあげる。「間に合わないよー。逮捕されちゃうよー」
傷害事件で在宅起訴されたぼくの、第一回目の公判は、11時からだ。
「すいません。とにかくすぐ出ます」
電話を切り、そのまま手ぶらで家を出る。困ったことに外は雨だ。あんまりスピードを出すと、原チャリは横転してしまう。
それでもできるだけ急ぎ、信号無視をくりかえし、福岡地方裁判所に到着したのは11時2分。
「304法廷」と聞いていたので、階段を駆け上がり、3階へ。しかし、変更されたらしく、そこでは別の裁判をやっている。げげっ、せっかくギリギリ許される小遅刻で済んだのに。
1階の受付に走って戻り、隣りの303法廷だと確認して、また階段を駆け上がる。今度は、廊下にS氏が出ていて、
「来たー!」
と頓狂な声を上げて早く法廷に入るように促す。
壇上の裁判長が、
「遅れないようにお願いします」
と云うので、息を切らせながら、
「すいません」
と謝る。
息切れがして、周囲をじっくり見回す心の余裕はなかったが、傍聴席には、昨日緊急に勧誘した数人の友人たちが着席しているようだった。
しかし、客観的にはショボい傷害事件の法廷に、数人とはいえ傍聴人が、しかも怪しげな若者ばかり5、6人いる。後で知ることになるのだが、原告側は「被害者」の代理人の弁護士が1人、傍聴に来ているだけ。裁判長も検事も、あるいはぼくの弁護人ですら、何がどうなっているのか状況の理解に苦しんだに違いない。
早速、裁判が始まる。
裁判長から、黙秘権の保証など、一言二言、手続き的な話があって、その後、本人確認に入る。
氏名、生年月日、本籍、現住所、職業を、裁判長に質問され、それに答える。人違いでないことを確認する、これまたルーティンワーク的な手続きだ。
しかし! 今日の一番の見せ場はここだ!!
「職業」を尋ねられた時、
「訴状では『作家』となっているはずですが、ぼくの職業的アイデンティティとしては『革命家』です」
とぼくは堂々と宣言したのである。事前に何も打ち合わせていなかったので、弁護士すら失笑している。今年、裁判で「革命家」を標榜したのは、たぶんあの重信房子に続いて2人目だ。
「『革命家』という職業は聞いたことがないんですが、『作家』ということではダメなんですか」
と、ちょっと困った顔で裁判長が訊いてくる。
「『革命家』としての活動の一環として文章などを書き、それが収入につながったりすることはあります」
「では『作家』でもいいですか」
「不本意ですが、間違いではないので、構いません」
そんなようなやりとりがあって、いよいよ本題に入る。
かと思うと、検事がいきなり、「被告をちゃんと立たせてください」と裁判長に要求する。
ぼくは、被告の証言台の前に立って、まあ大学なんかで講師が喋る時のように、台の両端を両手で掴んでいただけなのだが、検事はそれが気に障ったらしい。別にいいじゃないか、と思うのだが、そんなことで揉める気はないので、
「はいはい、すいません」
と云って証言台から手を離す。
しかしこの検事、40ぐらいの女性なんだが、なかなかいいキャラクターだ。マンガに出てくるような、ヒステリックなPTAのオバサン、という感じ。悪役としては最高だ。いや、この裁判では「悪役」はぼくだったんだっけ?
検事による起訴状読み上げが始まる。
ぼくが2年前、99年の3月8日未明、当時いわゆる「彼女」だった女性を殴打し、鼓膜が破れるなどの傷害を負わせた、というのがぼくの容疑の中心である。
「何か異議がありますか?」
と裁判長がぼくに問う。
「ケガの程度についてはぼくは直接知りませんが、殴ってケガをさせたという点は事実です」
と答える。
「弁護人は?」
「とくに異議はありません」
そんなやりとりが間にあって、さらに検事が喋り始める。事件の背景説明である。A の妊娠と中絶を機に、ぼくとAの関係が険悪になっていったこと、その過程で今回の事件が起きたこと、その後しばらくしてAはぼくと別れたが、その後かなりの期間、ぼくによるストーカー的な嫌がらせが続いたこと、ある時期以降は、Aの新しい「彼氏」(F)に対しても、脅迫などがおこなわれたこと、などが主張された。
被告席に座り、ラクな姿勢をとっていると、弁護士から小声で、
「足は組まないで」
と懇願された。
しかし予想されたことではあったが、検事の陳述の中身はひどい代物だった。
まず、よくあることだが、「記憶の歪曲」がおこなわれているなと感じた。意図的か無意識的にかは判然としないが、Aは事実経過をかなり自分に都合がいいような物語として捏造しているのである。Aは妊娠問題以降、ずっとぼくと別れたいと思っていたのだが、ぼくが自己中心的で暴力的な人間なので、怖くてそれが言い出せなかった、などと回想している。実際には、関係がギクシャクしはじめてはいたものの、殴打事件以後もかなりの期間、Aにはぼくと別れたいという素振りはなかった。別れたくはないが、ギクシャクしはじめた関係をどう解決していいか分からずに混乱していた、というのが当時のAの実相だったはずだ。まあ、要するに、現在ではすでにAの中でぼくは完全に「悪役」となっており、過去を回想するにあたっては、ぼくに不満だったり被害者意識を感じさせられたりしたことだけが思い出されて、そうでない部分や、当時の微妙な心の動きなどは忘れ去られているのだろう。
次に、ストーカーの件。ぼくがAと別れた(というよりも、Aが一方的に別れを通告した)のは殴打事件から約2ケ月後の99年4月末だが、ぼくのストーカー行為(闘争)は、7月末までの約3ケ月間、続けられた。善悪の問題はさておいて、「ストーカー」と呼ばれても仕方ないかな、という行為をぼくがおこなったのはこの3ケ月間のみである。しかし検事は、それ以降もそれが続いたと主張している。だが、ぼくが8月以降におこなったのは、例えば、とくにAを対象としたのではない、つまり不特定多数向けの、活動レポートの執筆と発表だったりする。Aとの痴話喧嘩が、予想外に周囲の人間を巻き込んだ、福岡の若き革命運動シーンの一大スキャンダルに発展し、結果、シーンそのものが崩壊した経緯がある。ぼくが、自分の深く関わった運動の始まりから終焉までを回想して総括する文章を書くことは、自由、というかむしろ革命家としての当然の義務であって、そんなことまで「ストーカー」呼ばわりするのでは、結局ぼくに運動をやめろと云ってるようなものである。まあ、向こうサンの本音としては、そういうことなんだけど。あるいは、翌2000年5月、雑誌『AERA』のストーカー問題特集で、ぼくが、これまでに何度か(つまり特にAとの一件だけではなく)、ストーカーをやったりやられたりした体験を、インタビューに答える形で語っている。これも、被害妄想で頭がいっぱいになったAから見れば、手の込んだAへの嫌がらせと映ったらしい。知るかっつーの! こっちはこっちの新しい人生を模索しつつ、Aとは無関係に活動しているだけなのに、いいがかりも甚だしいこと山の如し。
さらに、同2000年春ごろ、ぼくのホームページの掲示板に、ぼくとAの問題にかこつけた卑猥な書き込みが繰り返されたことがあるのだが、Aは、この書き込みをしたのがぼくであると主張するのだ。ふざけんな。証拠があるのか証拠が。だいたい掲示板のしくみ、分かってんのか? 論外である。
そして一番問題なのは、Fへの脅迫についてである。これに関しては、事実そのものが存在しない。完全にFの虚言、もしくは妄想である。Aは、現在進行形で付き合っているFの言動に対してすら、冷静な判断力を欠いている。これではかつて付き合いのあった頃であれ別れて以降であれ、ぼくがどういう意図でさまざまの言動をおこなったかについて的確に判断することなど不可能なのも仕方がない。しかも、ぼくはFの精神的不安定にまで責任があるとされている。何を云うかこの〇〇〇〇(冷静な判断力により自主規制)が! Fはぼくとも面識があるのだが、Fはそもそも家庭環境に問題があって、10代の頃、精神を病んだ実姉に刺されている。以後、F自身も精神不安定になり、対人恐怖で学校にも行けず、PTSDだっけ? そういう病名を宣告されたと云っていたのはF、おまえじゃないか。おまえが〇〇〇〇(同前)なのはおれのせいじゃなく、おまえの姉ちゃんのせいだよ!
ぼくの記憶に間違いがなければ、ぼくが告訴されているのは「傷害」の罪であって、その前後のカンケーないことまでこんなふうにいちいち法廷に持ち込むこと自体が、そもそも検事の大間違いなのである。
と、まあ、こんな具合にこちらも云いたいことが山ほどあるのだが、今日は検事の一方的な主張のみで、ぼくの反論は次回以降に持ち越しとなった。
最後に検事が、次回の公判に、Aを証人として出廷させたいと云う。おう、望むところだ。しかし、「遮蔽」とか云ってたっけな、要するにAはツイタテの向こうに姿を隠す形での証人尋問をしたい、と裁判長に申し出た。「事情が事情なだけに」だってさ。そんなにぼくと面と向き合うのが怖いのか。こういう臆病で無責任な奴に、そもそも「言論の自由」って与えといていいのかね(心の裁判長「暴言ではないですか?」「はいはい、すいません」)。
この件は後日、検事、弁護士、裁判長の三者で改めて協議することになったようで、次回公判の期日は未定、ぼくと、A側1名ぼくの友人6名計7名の傍聴者は退廷を命じられた。
最後に裁判長が一言。
「次回からは遅れないように」
「はいはい、すいません」
第一回公判は、こうして30分ほどで、あっけなく閉廷した。
公判後、近くの喫茶店に傍聴者たちと移動し、2時間ほどダベった。楽しい談笑の最大の貢献者は、あまりにアリガチなキャラでぼくらを楽しませてくれた、例の女性検事であった。
次回公演 2001年3月27日午後1時10分 福岡地裁108号法廷(民事第1回)
マイ・マジェスティへ
救援連絡会TOPへ