とにかく、ただただ悪いファシストという種類の人がいる。この人は、常日頃から、戦争とか侵略とか少数民族抑圧とか管理社会化とか悪いことばかり考えている。何故悪いことばかり考えているかというと、それは当然、その人がファシストだからである。その人は何故ファシストなのかというと、決まってるじゃないか、悪いことを考えている人だからである。とにかくね、いるんです、悪いのが、ファシストっていう。(呉智英『封建主義者かく語りき』)
ファシズムはとにかく評判が悪い。
現在ファシズムが置かれた立場は、要するにあれに似ている。
左翼陣営における、1956年のスターリン批判以前の、トロツキズムと同様の位置に、ファシズムはある。
その時代、ほとんど誰もトロツキーの著作など読んだこともないくせに、方針の違う相手を「トロツキスト」と呼んで非難することが当たり前におこなわれていた。そして、「トロツキスト」呼ばわりされた側も、これまたトロツキーの著作など読んだこともないくせに、自らが決して「トロツキスト」などではないことを必死になって弁明した。
ファシズムも同じである。
トロツキズムの場合には、スターリン批判という大事件が勃発したために、それ以後、左翼陣営の中からスターリンと対立したトロツキーを程度の差はあれ再評価する動きが出て、いくらか復権したが、ファシズムはいまだにかつてのトロツキズムと同じように、ただひたすら嫌われている。
冒頭の、呉智英の名著からの引用が、まったく世間一般のファシズムのイメージであろうと思う(もちろん呉智英は、そのような思考停止した「認識」を嘲笑しているのである)。
しかし少しは真剣に考えてみたらどうだ。
ファシズムがもしもただひたすら「悪い」思想であるならば、誰が一体ファシストなんかになるものか。よしんば稀にとんでもない極悪人がいて、極悪人であるがゆえにファシストになるのだとしても、そんな極悪人をかき集めたって量的にはたかが知れているではないか。どうしてファシズムがそれなりの政治勢力を形成することなどできようか。
もっともこの点について、たいていは「ファシストは大衆を欺くのだ」と説明される。ヒトラーには、「悪魔的な」宣伝の才があったのだ、などと。トホホである。ハイデガーが熱心なナチス党員であったことは有名な事実だが、「愚かな大衆」とは程遠い「20世紀最大の哲学者」さえもが、ヒトラーに「だまされた」とでも云うつもりか。
ファシズムが、ただただ悪い何かとんでもない思想だということになっているのは、ちょっと考えるアタマがあれば誰にでも分かるとおり、第二次大戦後にアメリカとソ連の双方がおこなった徹底的なプロパガンダが成功した結果にすぎない。
近年、「歴史の見直し」が盛んになり、それはそれで大いに結構なことだと思うが、そろそろファシズムについても「戦勝国史観」の呪縛から解放された公正な目で眺めてみてはどうか。
公平に見て、少なくともかつてのイタリアやドイツが、旧ソ連や旧東欧、そして現在の中国や北朝鮮よりもヒドい社会だったとは思えない。
もちろん問題も多くあったが、当時のアメリカ社会だってかなりヒドいものである。
アメリカがその後、それなりにいくらかマシな社会へと自己変革を遂げたように、ファシズムも、過去の間違い(最大のそれはドイツの対ユダヤ人政策であることは云うまでもない)を克服する形で再建が目指されなくてはならない。
ファシズムの可能性は、まだ潰えていない。
そもそもマルクス・レーニン主義の国家と違って、ファシズム国家はその内部から崩壊したわけではなく、単に戦争に負けて歴史から(一時)退場させられただけなのである。
そしてもちろん、我々ファシストは、「グローバリズム」と呼ばれる新段階の資本主義の猛威に対して、有効な代案はファシズム以外にないと考えている。