傷害事件について

前後の事情も含め、事件の全体像については、外山が自分で書き民事法廷に提出した「答弁書」に詳しい。

答弁書

この事件について、福岡地裁は、求刑懲役1年に対し、懲役10ヶ月の実刑判決を云い渡した。
 前後の事情は複雑だが、この民事裁判用答弁書に記載されたさまざまの出来事のうち、刑事事件として起訴されたのは99年3月の傷害事件のみであって、これはありふれた痴話喧嘩にすぎない。ケガをしたといっても、刺したとか鈍器で殴ったなどの特殊なものではなく、鼓膜が破れたというにすぎない。またいわゆる「DV」的な、日常的な暴力は存在せず、2年間の交際期間中、この事件の他には99年2月に1度平手打ちがあるのみで、いずれも末期の短期間にドロドロの修羅場で起きたものだ。
 「女性への暴力」に対して、強い拒否感を持つ人もいるだろうが、その可否(道徳的あるいは思想的な)と、第一に夫婦間・恋人間の暴力にどこまで公権力の介入を認めるか、第二に、一般論ではなく個別具体的なものとしてのこの外山の事件に懲役10ヶ月の実刑判決が妥当であるかは、はっきり区別して考えるべきである。
 さらにこの事件に関して見逃されてはならない重要な点は、そもそも「被害者」のAはストーカー被害について警察に相談したのであり、しかもこれは冤罪だったということである。当然のことながら外山がストーカーの犯人であるという証拠は上がらなかったため、警察はA本人も問題としておらず処罰も望んでいなかった(とAの供述調書にはっきりと書いてある)1年以上前の「傷害事件」について、わざわざAに告訴状を提出させた上で(傷害罪は親告罪ではないから本来必要ではない手続き)、立件したという捜査手法が果たして許されるのかという問題である。なお、ストーカー事件の真犯人は現在ではほぼ明らかになっている。
 外山が無罪を主張した法的根拠は、この捜査方法の違法性であった(この点誤解している人が多い。DV法、ストーカー法等に対する批判や、事件の政治的背景等は、無罪の根拠ではなく、反省を表明しない理由として主張・展開したものである。もっとも、この規模の事件を立件するのは民事不介入の原則に反し、また、DVやストーカーをバッシングする風潮に迎合してなしくずし的に立件基準が変化していくのは法治主義に反する、という点も無罪主張の補足的な根拠とはしていた。)

 当サイトは外山の無罪を主張するものではない(といって逆に有罪と決めつけるものでもない)。
 しかし、仮に交際相手を殴ってケガをさせるような男は実刑で当然、と考える人であっても、この判決を認めるべきではない。なぜなら、この判決が、外山の傷害事件に対してではなく、法廷でのパフォーマンスに対して報復的におこなわれたことは明白だからである。
 可否はともかく、「この程度」の事件では、実刑判決はあり得ない。
 念のために付記すれば、民事で100万円の賠償を命じる判決が出ていることで、外山はやはりかなり悪質なことをやったのではないかと推測する人もいるだろうと思う。が、民事で外山は代理人の弁護士を立てていないのである。どうせ賠償しない(貯金等ゼロ、定収入ナシ)のだから、あえて弁護士を雇う意味はなかったし、なにより弁護士を雇わなければ外山自ら法廷でAを尋問できるため、パフォーマンスとして面白いと考えたからである。もちろん外山は法律・裁判手続きについてまったくの素人であり、ごくふつうの弁護士を雇った場合でも、殴ってケガをさせている事実はあるから敗訴の結果は変わらないとしても、賠償額はこの半分以下で済んだ可能性が高い。つまり、この民事判決はあまりあてにならない。


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